こんにちは、シノです。
よく「事実と意見を分けろ!」なんて言いますが・・・
「いや、事実と意見だけじゃ分けられなくない?」
なんていつも思ってしまいます。
たとえば、
「モリさん、結婚でやめちゃうんだって」は、
意見なのか、事実なのか
という問いかけは
『「自分で考える力」の授業』
という書籍で書かれていた問いかけです。
この問いかけについてどう思いますか?
僕は最初、
「実際にモリさんから聞いたのであれば、事実かな」
と思いました。
ただ、書籍の流れは思っていたのと違っていて、
「証拠」は「婚約指輪らしきもの」だけ、らしいのです。
これを聞いてどう思いました?
僕は、
「いやいやいや、婚約指輪らしきものをしていたからといって、
『結婚でやめる』というのは飛躍しすぎでしょ!」
と思いました。
僕はとある思い込みをしていたわけです。
というのも、
「モリさん、結婚でやめちゃうんだって」
と言われたとしたら、
「本人から直接聞いたんだろうな」
と無意識に思ってしまっていたんですね。
ですが、まさかの
証拠は結婚指輪だけ。
「え?それだけで判断したの?」
と思ってしまうんですが、
実際、妄想が加速してしまって、
飛躍してしまうことってありますよね。
たとえば、モリさんが
「仕事に疲れてきちゃったなぁ…」
「そろそろ結婚したいなぁ…」
とつぶやいていたのを聞いたら、どうでしょうか?
もしかしたら、そこから
「結婚して仕事をやめたいんだな」
とか連想してしまうかもしれません。
そして、人によっては
そのように連想した結果、
「モリさん、結婚でやめちゃうんだって」
と人に言って回るかもしれません。
これは本人は嘘をついているわけではなく、
連想してイメージしてしまった結果、
それが「事実」のように錯覚してしまい、
人に伝えてしまった、と。
まぁ、こういうことって
結構あることだと思うんですよ。
ですが、実際はただの連想なので、
もしかしたらモリさんは
結婚うんぬんの前に
まずは相手を見つけないといけないかもしれませんし、
いまが忙しすぎて
ついつい「仕事に疲れてきちゃったなぁ…」と
つぶやいてしまっただけで、
本来は仕事が大好きな人かもしれません。
「モリさんが結婚するのでやめます」
と言わない限りは、
それが事実かどうかもわからないわけです。
で、ここでふと、
「事実」と「意見」で分けるのは良いけれど、
それだけだと足りなくない?と思ったわけです。
たとえば、
「モリさんが『結婚するのでやめます』って言ってたよ!」
となった場合、
これまでの流れのように、
「事実」とは限りませんよね?
思い込みの可能性だってあります。
だからといって、
「意見」でもないですよね?
本人としては
「モリさんが『結婚するのでやめます』って
絶対に言ってたよ!」
と主張したとしても、
それは意見ではなく、
あくまでも聞いたことにすぎませんから。
ここでは、「事実」でも「意見」でもない、
「伝聞」という言葉にしておきましょうか。
「伝聞」には聞いた人のフィルターが入っているため、
それが事実かどうかはわかりません。
さきほどのモリさんの例のように、
思い込みによって、
「モリさんは結婚してやめちゃうんだ」
と認識してしまうことがありますから。
この「伝聞」というのは非常に曲者なんですよね。
聞いた本人はそれが事実だと思って話します。
ですが、
その人のフィルターが混じっているために、
事実とはズレてしまっている可能性があります。
事実とはズレてしまっている可能性があるものの、
実際に事実なのかもしれません。
事実かもしれないけれども、
「伝聞」だからこそ、鵜呑みにはしない。
そうした方が安心なのかな、と思います。
よく「一次情報をとりましょう!」と言いますが、
「伝聞」は一次情報ではないですからね。
なので、鵜呑みにしない。
鵜呑みにはしないけれども、
正しい可能性もある。
そういったスタンスを持つことが、
ものすごく大事なことなのではないか、と
個人的には思うわけです。
基本的に「事実」として100%確定できるものは意外と少なく、
僕たちが普段接している情報の多くは、
「意見」か「伝聞」に分けられるのではないかと思います。
・「意見」に分類されるもの
→仮説・推論・憶測・解釈・感想・価値観
・「伝聞」に分類されるもの
→噂・デマ(ただし、解釈を交えれば「意見」にもなる)
で、たとえば、モリさん本人が
「結婚するので会社をやめます」
と言えば、これは一次情報であり、
事実として認識しても良いでしょうが、
「モリさんが『結婚するので会社をやめます』と言ってました」
というのは二次情報である伝聞なので、
事実かどうかは慎重に見極めないといけません。
事実かどうかを見極めるためにも、
「意見」と「伝聞」には要注意!ということですね。
そして、「伝聞」というのは案外多く、
「事実」とすぐに判断できるものは意外と少ないです。
本人以外から聞いた話というのは、
基本的に「一度疑う」くらいがちょうどいいかもしれません。
「本当にこれは事実か?」
「伝聞ではないか?」
「意見として受け取るべきではないか?」
こんなふうに考えるクセをつけることで、
余計な情報に振り回されずに済むかもしれませんね。
いわゆるクリティカルシンキング、ってやつです。
世の中には、意見や伝聞があふれています。
だからこそ、鵜呑みにせず
「これは本当に事実か?」
と考える習慣を持つことが大事なのかもしれません。
クリティカルシンキングを使って、
事実・意見・伝聞を見極め、
振り回されない思考力を鍛えていきたいですね。
そんな感じで、
「事実と意見に分けろって言うけれど、
それだけじゃ分けられなくない?」
という疑問から生じたお話でしたとさ。
何かしら参考になる部分がありましたら幸いです。
それでは、
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!